山に囲まれた山梨でも、篠原正廣氏が生まれた北巨摩郡朝神村浅尾は、東に茅ヶ岳、西に南アルプス、はるか南方に富士山を一望できる広大な地域にあります。また北方には、その昔から異様な山肌で知られた修験の山、金峰山がそびえ立っています。このあたり一帯の山々からは、江戸時代から明治にかけて地場産の水晶が盛んに採掘されていました。
明治24年(1891)、正廣氏は農業篠原徳右衛門の二男として生まれました。高等小学校に進学してまもなく、水晶研磨に先見性をみた兄の勧めで、甲府の土屋水晶店(土屋宗幸氏)へ徒弟奉公を始めます。当時ようやく

水晶の飾り物が出回り始めた頃で、桜町の表の店には4人の印刻見習い。裏の工場には8人の研磨見習いがいました。新参の見習いのできることは、もっぱら掃除や原石や材料の運搬ぐらいで、朝から夜までつらい仕事が続きました。市内にはまだ電灯もなく上水道も敷かれていなかったそうです。
やがて少しずつ研磨にたずさわれるようになると覚えは早く、数年で大阪の内国博覧会で入賞するほどの腕前になりました。明治41年には、大阪の高岡商店の注文で巨大水晶玉の研磨に挑戦し見事に成功。兄弟子と共に見聞した京都、大阪の風物は少年の心を大きく躍らせたそうです。