業界全体がよくならなければ各企業の発展もないと、強い信念でリーダーシップを発揮する方泰氏の考えは終始一貫して、周囲を強く説得するものがありました。復員して数年を経ずして、昭和28年には、山梨 県水晶商業協同組合(現山梨県ジュエリー協会)を結成し初代理事長に就き、当時取引の大きな壁となっていた物品税廃止に奔走、また昭和39年には山梨県輸出振興協会の設立に参加し、対米輸出の花形の自動車産業と同じく、自社自らも輸出貢献企業の認定を受け輸出促進の努力を重ねました。
方泰氏の見識と実行力はさらに地元財界の発展にも向けられ、昭和48年に甲府商工会議所の専務理事になってからは、宝石美術専門学校や地場産業センターの設立に奔走し、大型小売店舗の進出に当たっては、新しいコンセンサス方式を定着させるなど、更にその活動の幅を広げました。今ようやく実現されてきた甲府のまちのインフラ整備など、私事を捨て業界や地域の為になした貢献の大きさは、今なお多くの人々から聞くことができます。
|