3代目義明氏は昭和26年(1951)甲府で生まれました。武蔵大学経済学部卒業後、東京で3年間勤務。その後静岡県富士宮にある貿易研修センターで貿易実務を研修した後昭和52年篠原貿易に入社しました。 昭和61年、惜しまれながら亡くなった方泰氏に代わって、若い義明氏が35才で社長に就く頃、世界の政治も経済もめまぐるしく変わりつつありました。義明氏は、宝石卸の会社での修業時代の経験を生かし、それまで輸出中心であった水晶彫刻品の国内販売に力を入れることにしました。思い切った戦略の転換でしたが、展示会形式の販売スタイルが全盛の時でしたので北海道から九州まで引き合いが多く、積極的展開が行われました。
置物の販売も安定した昭和58年頃より、さらに業務の幅を広げるべくジュエリーを手掛けるようになりました。義明氏は、ジュエリーでは後発組でしたので同業の中でどのように自社の特徴を出すかが問題であったと言っています。スタートが水晶の輸入会社ということもあって半貴石を使ったジュエリーにこだわろう。そのようなコンセプトでスタートし、様々なユニークなカラーストーンジュエリー製品に情熱を注いできました。そのこだわりは現在も変わっていません。
もう一つの問題は良い工場に巡り会うことでした。なかなか希望する仕事をしてくれる工場が見つからなかったこともあり、貿易の経験を生かして工場を海外に探すことになりました。昭和62年より香港の工場とタイアップし本格的にオリジナルジュエリーを作り初めて以来、昭和63年にブローチで知事賞を受賞、その後市長賞、日本ジュエリー協会会長賞、会議所会頭賞、日本経済新聞社賞、など数多くの賞を受賞することができました。平成6年の山梨県装身具協会主催のコンテストではセミプレシャスストーンのリングで再び知事賞を受賞。ジュエリーの部門でも着実に実績を積み上げています。
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